蝸牛の歩み

日々の雑感を書き留めています

ランニングシャツと麦茶...「真実の一球 -怪物・江川卓はなぜ史上最高と呼ばれるのか-」

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1.日本の夏は耐えがたい

 

夏は暑い、日本の夏は耐えがたく暑いです。

いつからこんなに耐えがたく暑くなったのか・・・

 

別に、明確に、何年から耐えがたく暑くなったんですよ、とわかるわけではないでしょう。

まるで熱帯地方かと思うほど暑くなったんよ・・・、暑さのために亡くなる方もおるんよ、熱中症って言うんよ・・・夏日、真夏日猛暑日っていう区別があるんよ・・・もうきりがないです。

 

でも自分が子どもの頃ってそんなに暑かったっけ?

まるでそんな記憶はありません。

 

2.子供のころの記憶

 

小中学校時代、まあ田舎の子ですから、夏休みともなると真っ黒になって遊んでいました。

小学4年生の時に、地方都市の中の町中からやや田舎に引っ越しをして、環境が随分と変わりました。

父親が平屋ですが戸建てを建てたわけですが、うちのまわりに家はほとんどなく、目の前は田んぼでしたね。

家の前の空き地で野球をしてよくボールが田んぼの中に入って、それを取りに裸足で田んぼの中へ・・・じゃぼじゃぼと。

よく怒られました。所有主のおじさんに。

時には田んぼにいた「蛭(ひる)」に血を吸われたりして。

 

なんか足がむずかゆいなあと思うと、蛭が足にくっついているんですよね・・・

 

その当時、子どもたちが遊ぶとなると野球です。

草野球です。

空き地はいくらでもあるし、近所の子どもたちを何人か集めると、もう野球。

 

当時、他に遊ぶと言ったら男子の場合、ドッジボールくらいですか。

夏は水泳、虫取り、もしましたけどね。

ほとんど野球の日々です。

 

今みたいにサッカーとかテニスとかちょっと華やかなスポーツなんて周りでやってる人間はいなかったです。

 

思い出すと野球の思い出ばかり。

 

野球少年なんだけど、そしてそこそこ自分は上手な方だと思ってはいたけど、周りにうまい奴がゴロゴロいるので、全然、目立った存在でもなかった。

 

小学生になったら王長嶋の伝記も読み、そういえばベーブ・ルースルー・ゲーリッグの伝記なども読みましたね。

野球図鑑なんて当然、読んで王・長嶋については生年月日から毎年の成績まで覚えてましたよ。

 

3.江川卓というとんでもない奴

 

中学生になってでしょうか。

毎月の中学生向け雑誌に「江川卓」というとんでもない奴がいるという特集記事が載ったのは。

この雑誌に高校野球の選手が特集されるなんて、当時、珍しいことじゃなかったのかな・・・

ノーヒットノーラン連発、しかも完全試合もやってるし、100mは11秒台で走るし・・・凄い凄いと。

 

そしてついに春の選抜に姿を現します。

 

まあ凄かったですよ。

 

僕はNHKで春も夏も観ていたはずなんですけど、当時、投手の斜め後ろ、そうですね、一塁側の方からの映像が良く流れてて、江川は右ピッチャーなので、振りかぶった背中があって右腕を振ったと思ったらもうキャッチャーミットに収まっている、とそんな印象でした。

一塁側の方から斜めに背中を映しているので、その印象がより強調されていたかもしれません。

 

4.ランニングシャツと麦茶

 

でも印象に濃いのは夏の甲子園ですね。

江川は春は敗れたので(60奪三振という今も破られない記録を残しながら)、夏こそ、優勝するだろうという雰囲気でした。

 

ちょうど夏休みなので毎日テレビにかじりついていましたね。

 

夏だからランニングシャツ、そして麦茶を飲みながら。

 

確かにランニングシャツだったけど、でも暑かったかというと、そんな覚えはないんです。

 

はっきり言うと今より全然、暑くはなかったですね。

 

8月15日、江川にとっての2戦目。

1戦目も調子が悪く、どうしたのかな、大丈夫かなあ、と当時は情報もないものですから、事情がわからず心配してました。

 

そして途中から土砂降りの大雨。

普通、試合中止でしょうね。

 

雨がバシャバシャ落ちる音が今でも覚えてるけど、凄かったですから。

 

本作「真実の一球 -怪物・江川卓はなぜ史上最高と呼ばれるのか-」の筆者、松井優史氏は本当に当時を知る多くの人々へ丹念に取材を重ね、これだけの内容のものを書かれたのでしょう。

 

本書によれば「高野連の佐伯会長は会議が長引いたため7回になって試合を観戦したとき『なんで中止にしないんだ』と叫んだ。後に『あそこで中止にするべきだった』と後悔したという。」ということだったんですね。

 

もしかして僕の家のあたりもその日、雨だったのかもしれません。

明確な記憶はありません。

 

ただ真夏と言っても当時、さほど暑い、とげんなりしたような記憶はありませんね。

 

ランニングシャツ着て麦茶飲みながら高校野球にかじりつく、田舎の少年でした。

夏なんて全然、平気でしたよ。

 

本書、取材内容が濃く、隠れたエピソードも多く、めちゃ面白かったです。

 

今のようにYoutube等で映像が簡単に観られる時代ではなかったし、江川の映像も今、残されたものは本当に少ないですね。

しかもほとんど江川が高校3年の時のものですから。

 

でも江川の球が最も速かったのは、高校1年の秋から2年の秋、と多くの人が証言しています。

その1年間の映像がもしどこかに残っていたりするものなら本当に観てみたい。

 

でもあの頃、テレビを観ながら「すげえ、すげえ」と言っていた自分、ランニングシャツ着て麦茶飲んでる野球小僧、あの凄い球を生で観られただけでも幸せなのかもしれません。

 

5.あとがき

 

本書の裏表紙に江川の投球フォームの分解写真が載っています。

最初に振りかぶった瞬間の写真にはほれぼれします。

威風堂々という感じです。

 

その後、江川には悪評がついてまわりますが、僕はずっと応援してました。

なんせあの甲子園での姿が頭に焼き付いてますから。

しかも僕が生で観た高3の時は、招待試合による疲れなどのせいなどで、既に全盛期ではなかったわけですから。

40数年たった今でも、誰が凄かったかという話題になると必ず江川の名前があがるのは、当時観ていた人たちへの印象が強烈だったからなんでしょうね。

スピードガンで計測した球の速さとか、記録とか数字などではない生の迫力なんじゃないでしょうか・・・。

 

あの夏の日に戻れるものなら戻ってみたいです・・・。