蝸牛の歩み

日々の雑感を書き留めています

いつでも立ち寄れる居酒屋ってないものか...「暗殺の年輪」

1.いきつけの飲み屋

 

f:id:eiga_mv:20200728185946j:plain

 

随分、昔、東京赤坂あたりで仕事をしていた頃、まあ近くに六本木・赤坂という巨大な街があったものですから毎晩のように飲みに行ってました。

ホントに何であんなに毎晩毎晩、出かけられるかなあ・・・と、今や180度違う生活を送っている自分は感心するしかないです。

 

若いし体力もあったのでしょうね。

それとなぜか、一日をそのまま終わらせるのが勿体ないような気もしていたんだろうと思います。

自宅と職場の往復だけで一日が終わるのが勿体ない、と思っていたんでしょうね・・・おそらく。

 

そのころは赤坂の坂を越えていった先に行きつけの飲み屋があって、これは飲み屋というかカラオケスナックなんですが、僕は会社が終わってすぐ、なのでスナックはまだオープンしてはいない時間帯にこの店によく行ってました。

店のマスターと親しくなったので、まだオープン前の早い時間に一人で行くと、ご飯を作ってくれるんです。

ご飯と言っても焼きそばとかパスタとかそういう簡単なもの。

オムライスなんかも作ってくれたっけ。

ビール一本飲んでマスターの作ってくれたご飯を食べて、さあ今晩はどうしようか、とマスターとあーでもないこーでもない、とだべっているのが楽しかったんです。

 

勿論、その店で一人で、また何人かで、もしくは大勢でよく飲みもしたけど、それより早い時間に気軽にブラっと立ち寄って、というそういう場所が一つあるのが良かったなあ・・・と今ではしみじみと思い出します。

 

この「暗殺の年輪」は藤沢周平の1973年の作、本作で直木賞も獲っています。

 

 

この中に主人公の葛西馨之介(かさいけいのすけ)が訪れる居酒屋「徳兵衛」が出てきます。

ここの娘のお葉というのも魅力的なんですが、例えばこういう一節があっていいなあと思ったわけです。

 

 

【引用】

「歩いていく町筋の町家は、ほとんど店を閉めていたが、徳兵衛の店の障子には細々と灯の色が映っている。」

【引用終わり】

 

 

他の店がほとんど閉まっている中、なじみの店だけには灯りが灯っているって、なにか安心できていいんですよね。ほっとします。

 

この時、馨之介は人を一人切った後で、母親に対し致し方ないとはいえ冷たい言葉を投げかけた後なんです。

浴びるように酒を飲まないと母親に対する複雑な感情が抑えられなかったのでしょう。

 

しかし帰宅すると待っていたのは自害した母親の姿です。

 

この場面、馨之介はある程度、母の死をも覚悟していたのかな・・・とも思わせる描写が細やかです。

 

 

 

2.腹の据わり方

 

母の死に際しての馨之介の態度は非常に冷静沈着です。

 

藩の重鎮を切れと要請された際の断り方も、きっぱりとしていて、どこかしら自分自身への自信が感じられます。

 

自分の腕に自信があるということなんでしょうね。

彼が必死に剣に打ち込んできたのにも事情があるのですが、父の横死にまつわる一件(これに母が関係している)以来、周りから冷遇されてきた20年近い人生が彼という人間を作り上げたのでしょう。

 

結局、藩の重鎮を切ることになった場面でも、また藩の上層部にも友人にも裏切られたとわかった時の場面でも、馨之介の腹の据わり方が見事なんです。

 

例えば、謀られて、7,8名に囲まれた場面、普通なら足が震えても可笑しくない状況ですが・・・以下こうあります。

 

 

【引用】

「そうはさせんぞ」馨之介は呟いた。噴き上げる怒気が、四肢に戦闘的な力を甦らせていた。

「金吾」怒りとは裏腹に冷ややかな声になった。

「貴様らの腹は解った。さ、来い」

【引用終わり】

 

 

こういう危機に際して、四肢に、特に両足に力が漲るって大事なんですよ。

 

 

 

3.サムライという皮が剥げ落ちる

 

馨之介はしかし、全員と対峙することなく逃げ出します。

侍としてのメンツなど関係ないですね。

 

ここでの表現がまたいいです。

 

【引用】

星もない闇に、身を揉み入れるように走り込むと、馨之介はこれまで躰にまとっていた侍の皮のようなものが次第に剥げ落ちて行くような気がした。

【引用終わり】

 

ラストで馨之介はどこへ向かって走るのか・・・実は、ある場所なんですが、ここがまたとてもいいんです。

 

 

馨之介がこの先どうなっていくかまではわかりません。

しかし単なる侍のままではなくなったようです。

自分もその同類だった侍たちに諮られ裏切られたわけですからね。

結局、そのために彼は父も母も失いました。

 

 

 

4.あとがき

 

 

本作は読み始めた途端、面白くてゾクゾクしました。

ハッピーエンドではありませんし、全体的に沈んだ感じですし、主人公のこの先も厳しい人生が待っていることを予感させます。

 

藤沢周平の小説が映画化されたものは「たそがれ清兵衛」(2002)含め9作品ありますが、しかし、この「暗殺の年輪」は映画化されていません。

 

なぜなんでしょうね。

 

面白い作品になると思うのですが・・・・